乗り越える。

泣きたいけど泣けなくて、泣きつきたいけど誰にも泣きつけなくて…

 

強くなるって決めたから。

みんなを支えられるように、守れるように強くなるって決めたから…。

 

でもやっぱりまだそんな強さは持てない。

どうすればいいのかも分からなくなる。

 

辛いけど、苦しいけど、乗り越える。

最後は絶対守りたいから。

 

私の強さでみんなを支えたいから。

 

まだまだ色んな人生経験しないといけないんだろうな。

 

神様に、時々思ってしまうことがある。

何でここまで試練を与えるの?

何でここまで辛くならなきゃいけないの?

 

母が言う。

それはあなたにそれだけ乗り越える力があるから。

 

確かに色んなことを乗り越えてきた。

逃げたこともあったけどそれはただの寄り道で結局最後は戻ってきた。

 

だから、きっと今回も私は乗り越える。

美容師。

私の職業は、美容師。

といってもまだなりたてのアシスタント。

私は、特別美容師になりたいという気持ちが強いわけでもなく、目指すものがあるわけでもなく、ただ、なんとなく、美容師という仕事を選んだのだ。

 

自分に向いているなんて思ったこともない。

小さい頃の夢ですらなかった。

しかし、免許は持っている。

三年半という長い時間、お金もとてもかかっている。

その時間、お金を無駄にしたくはなく、美容師の技術はなんとしてでも身につけたいと思った。

 

本気で、何が何でもやり遂げたいという仕事ではないため仕事が嫌になる。

どの仕事なら自分に合うのだろう。

楽しいと思えるのだろう。

やる気がなくなってしまうときもある。

 

だが、私の性格上、常に上を目指そうとしてしまう。

働いていて、この職場よりもっといい場所があるのではないか。

もっと技術を身につける場所がいいと思ってしまう。

でも、技術が高いところとなると練習量もすごく、毎日遅く帰ることになり、生活がままならなくなり、自分も崩れてしまうだろうと分かっている。

 

自分に見合った場所を見つけるのはとても大変だ。

働いてみないとわからないことが沢山ある。

 

私は今の職場が続かないようであればきっとどこでも続かないだろうと思う。

だから、とりあえず、続けようと思った。

たまに、やる気がなくなるときもあるが、そのときは趣味のために、お金のために、頑張ろうと思った。

 

どこで働くなんて関係ない。

私の場合は、鬱病を持っていることもあり、働ける場所があるだけ幸せなことだ。

 

私なんかが、本気で美容師になりたいというわけではないのに、美容師を続けてもいいのだろうか。

違う道を選んだ方がいいのではないかとずっと悩んでいた。

 

しかし、この前病院の先生から、みんなやりたい仕事をやっているわけではないよ。

と言われ、気づいた。

美容師だからといって、別に特別な意志を持たなくてもいいのだと。

幸い、美容のことには小さい頃から興味はあり、今はカラーを早く覚えたいとかカットができるようになりたいと思っている。

 

まったく興味のない仕事であれば、くじけて終わりだと思うが、少し興味はある。

 

今はそれぐらいの気持ちでいいのではないか。

また何か本気でしたいことが見つかればその道を選んで必死に頑張ればいい。

 

続けることが大切だ。

まだ始まって間もないが、自分なりに、小さな目標を見つけて頑張っていこう。

 

 

 

いよいよ仕事に復帰。

いよいよ仕事が始まる。

休職中の約3ヶ月間、考えさせられることが沢山あった。

自分を見つめ直すとても大事な時間だった。

自分が嫌だと思う現実でも自分自身のことならばそれは自分で受け入れなければいけない。

その上でこの状況をどうにか変えなければいけない。

 

自分の人生は自分で決める

 

とても簡単な、当たり前な言葉だが、それが一番大事なのだ。

誰が何をしようとも自分には関係ない。

他人の人生なんて気にしても意味がない。

自分は自分の人生を歩んで行くのだから。

 

誰がどう思うかではなく自分がどう思うか。

学生時代には気づかなかったことだった。

誰かに合わせていれば、人が求めている答えを言えばその場はしのげる。

だから自分の意見なんかなかった。

 

社会にでれば、自分の考えで行動しなければいけない。

誰かに合わせて行動するなんてことができない。

 

人からどう思われるかを気にして生きてきたから自分の好きなもの、やりたいことができなかった。

合わせる人がいなくなってから、自分がどうすればいいのかわからなくなった。

 

私は誰?

 

自分という他人…。

 

私の本当の人生はここから始まるのかもしれない。

誰にどう思われるかではなく自分がどう思うかの人生が…。

 

自分が気にしているほど、周りの人は他人の人生になんか興味はない。

自分が他人の人生と自分の人生を比べようとしているから他人の人生を見下したり、羨んだりするのだ。

 

私は他人の人生に興味を持つ暇もないはずだ。

自分の人生をまずしっかりと生きないと。

自分の人生から逃げたかったから、現実を受け入れきれなかったから他人の人生を眺め、現実逃避をしていたのだと今になって思う。

 

少しずつ、成長していけばいい。

少しずつ、変わっていけばいい。

今までできなかったこと、やりたいこと、好きなこと、自分の好きなように生きて行く。

自分の人生なのだから。

目の前の道から外れようとするのではなく、寄り道はいいけれど、またすぐに戻って来られるように。

 

本当の自分なんて分からなかった。

今も全てわかるわけではない。

 

どんな自分を作るのも自分次第。

自分ができることに限りもあるし、自分の力量を分からないと。

 

他人から思われる自分が全てだった。

真面目だね、しっかりしてるねと外でいつも言われていた。

家では全く違うのに。

自分って何なんだろう。

 

こんなに自分のこと、人生のことを考える時間なんて今までなかった。

たまには休んで考えることも大事。

 

これからの自分を見つけるために。

 

初めまして私。

 

 

 

自信がない。

今現在、休職中。

普通の人が見たらニートと思われてもしょうがない生活だ。

前向きに何かを考えることもあまりなく、自分の人生って何なのだろうと考えてしまう。

就職して、頑張ってみたけど、その頑張りは空回りしていき、結局1ヶ月でその職場を辞めてしまった。

そのあと、1ヶ月もたたないうちに新しい職場で働き始め、やる気が起こらず、2週間ほどで休職にはいった。

何をしているのだろうと自分を責めたり、自分が歩んで来た人生を投げ出したくなった。

今も、これから楽しい人生が待っているなんて思うことも出来ず、周りの友達と比べたり、自分の人生を諦めてしまっている。

 

きっとそれは、今の自分に自信がないからだ。

現在仕事もしていない。誰かの役に立つこともできない。生活習慣もなおすことができない。

何かを続けることもできない。

働いていたときのことを考えると、自分には一体何ができるのか、何だったらできるのかいつも自信をなくしてしまう。

親にもよく弱音を吐いてしまう。

もう疲れた。

本当に働けるのか分からない。

人生何が楽しいの?と。

 

このまま働き始めて本当に大丈夫なのだろうか。

毎日不安だ。

同じことしか思わない。

学校には行けていたのに、バイトもちゃんとできていたのに、何で社会にでるとこうなるの?

私には、毎日出勤することすら大変なこと。

 

仕事復帰して、毎日ちゃんと働けて、お金がもらえるようになればきっと自信がつくのだと思う。

今は胸を張って、これが自分だ!と言えるものがないから自信もなくずっと不安も募っていくばかりなのだろう。

 

自信に満ち溢れた自分になりたい。

どんな仕事をしようが、どんなところで働いていようが、自分の好きなものを大事に、自分のしたいことは一生懸命にやっていけるそんな自分に…。

 

復帰してみなければ、きっと分からない。

でも、次こそは逃げたくない。

姉から逃げ癖はつけない方がいいと言われたことがある。

いつしか私には逃げ癖がついていた。

嫌と思えば辞めればいいと思っていた。

それも間違いなく大事なことだが、逃げるべきところは逃げなければいけない。

だが、今度は少し立ち止まって頑張ってみよう。

そこを乗り越える力をつけてみよう。

乗り越えた先に待っているものは必ずあるから。

得るものは必ずあるから。

 

自信をつけるならやってみるしかないんだ。

少しだけ踏ん張って、次は逃げないように…。

立て直す力。

人間誰しも人生でつまずくことはある。

そこで大事なのが立て直す力。

何度失敗してもいい。どれだけ落ち込んでもいい。

たが、そこで立て直せるかが問題だ。

困難や逆境に強い人ならば、そこで悔しい思いが強まり、何としてでも成し遂げようと努力するだろう。

しかし、打たれ弱い人はそこで悔しさがバネになることはないのだ。

ひたすら落ち込み、自分を責めてしまう。

何で自分はこうなんだ。どうせダメな人間なんだと。

私は後者の方だ。

 

人の目を気にしながら生きてきた。

誰からも好かれるように、嫌われないように過ごしてきた。

だからその分、否定されれば傷ついた。

傷つくだけ傷ついて、その後は自分を変えようともしない。

立て直す力など微塵も持っていなかった。

鬱病になったのはきっとそのせいだろう。

鬱病になる人とならない人の差はそこにあるのだと思う。

いくら傷ついたとしても立て直す力が身についていれば、その状況から抜け出すことができる。

それどころか、さらに良い方向に持っていける。

 

人生は何度だってやり直せる。

ただ、やり直すには立て直す力が必ず必要だ。

その強さを多少なりとも持っていないといけない。

 

私はまた仕事を始める上でこの力はとても大切だと思う。

社会に出れば学生とは違い、もう誰も守ってはくれない。

自分で考え、自分で行動しなければならない。

自分の個性も大事かもしれないが、周りに合わせることもやっぱり大事なのだ。

そんな社会で傷つかないことなど絶対にないのだ。

働いていくなかで、悲しかったね、無理しないでねなんて優しく声をかけてくれるのは最初だけかもしれない。

自分の力で自分を奮い立たせ、人生を何度もやり直して行くしかないのだ。

全て自分の力で乗り越えていかなくてはならないのだ。

人に頼ってはいけない。

多少助けを求めることはそれはそれで大事だ。

でも、何かを決断するとき、その後の人生をどう生きていくのか、それは全部最終的には自分が決めることなのだ。

最終的な判断は自分の力なのだ。

この社会を生き抜くためにも大事なのは自分の力がどこまで身についているか。

 

自分にはその力がしっかり身についているとはまだ言えない。

だが、変えなければいけない。

そうじゃないと仕事なんてできないから。

私は働かないといけない。

現実を受け止めなければいけない。

逃げてはいけない。

 

だとしたらどうする?

強くなる。

ただそれだけ。

仕事復帰まで。

あと10日程で仕事復帰することになっている。

 

復帰を決めたとき、もうこの生活も飽きてきたし逆に生きづらくなっているからもう仕事を始めても大丈夫だろうと思っていた。

 

しかし、気分の浮き沈みは毎日のように変化する。

今となってはとてもじゃないけど、働ける自信がなくなってきた。

毎日決まった時間に起きることもできない。

薬に頼って感情をコントロールさせる。

こんな状態で仕事ができるのか?

不安しかない。

 

考えもだんだんとネガティヴになってしまう。

この先自分の人生に楽しいことなんてあるのかな。

今を乗り越えていけるのかな。

もう…疲れた。

 

何を言っているのと親から言われる。

まだまだ人生これからよ。

若いんだから。

 

もうこの状態で若いとか関係あるのか?

辛いもんは辛いんだ。

誰に分かってくれとは言わない。

ただ、自分は普通の人の当たり前の生活は少々難しいのかもしれない。

毎日同じ時間に出勤して休日を迎えまた仕事が始まる。

そんな毎日に耐えれる気がしない。

 

これは単なる甘えなのかな。

病気のせいにしてもいいのかな。

 

仕事に復帰する前からこんな状態で本当にやっていけるのか?

でも、復帰はもう確定だ。

踏み込むしかない。

働いて損なことはない。

お金が入るのだから。

そのために頑張ると思って働くのもいいかもしれない。

お金があれば好きなことができる。

働ける自信はなくても、やっぱり人間欲しいものは増えていく。したいこともいっぱいある。

それをストレス発散にあててもいいし、将来のためにお金を貯金してもいい。

お金があればやりたいことは沢山ある。

今まではそれができなかった。

働いていなかったから。

収入がなかったから。

収入がないことに焦りを感じすぐに働き出したのは間違いではあったが、それはもう過去のことだ。

過ぎてしまっだのはしょうがないので、もう次は同じことの繰り返しにならないようにしていくしかない。

好きなことをしていけば、いつか仕事に繋がる可能性もある。

 

人生何があるか分からない。

 

過去の自分だって今の自分がこんなことになっているとは思っていなかった。

人生は計画通りにいかないとつくづく思う。

それでもこの歳までには結婚して、子どもを産んでとか夢を見てしまう。

そのような夢は程々にみておくのがきっといいのだろう。

 

だが、何も計画を立てずに好きなことをがむしゃらにやっていく人生も割とあり。

病気と上手に生きて行く。

私は鬱病になってみて初めて鬱とはこういうものなのかと実感した。

今まで経験したことのないやる気のなさ、毎日毎日自分の存在意義を考えていた。

 

私は死にたいと思うより、自分の存在を消したかった。

元々なかったことにしたいと思っていた。

それなら親もきょうだいも悲しまないし、私がいなくなったあとで葬儀のことやら奨学金の支払いやら迷惑かけることもないのにと…。

 

鬱になって、出来ないことが出てきた。

それは、鬱だからしょうがないと自分で許してあげることが大事なのだが、私はそうはできなかった。

鬱気分から抜け出すと体も動くようになり気分も良いため、自分は普通の人と同じように生活するのが普通のことだ、しなきゃいけないと思っていた。

周りに鬱病のことを理解してくれない人がいればなんで分かってくれないのかと腹を立てていた。

しかし、一番理解できていないのは自分なのかもしれない。

少しでも気分が良くなれば普通の人と同じことをしようとする。

1日、2日良くなっただけですぐ働かなきゃと焦ったり、今の生活習慣じゃダメだと自分を責めたり…。

 

私は他の鬱病患者とは違う。

そこまでひどいわけではないのだから普通の人と同じようにしなければ。

普通に働いて普通に稼いで普通に生活していかなければ。

そのため、本当に休まなければいけない時に休まず無理しようとする。

甘えてはいけない。

自分は働けるんだからと…。

 

でも、きっとそれは違う。

少なくとも精神科の病院に通っているということは病気を持っているということ。

他の人はもっとひどいからと他人と自分を比べて普通の人になろうとする。

普通の人にできることでも私にはできないことがある。

それを認めなければいけない。

許してあげなければいけない。

だだ、病気だから何もできないと諦めてしまうのはまた違う話だ。

病気だけど、普通の人とは違うけど、やり方を変えてみれば、考え方を変えてみれば同じことができるかもしれない。

 

病気になってしまったのは仕方がない。

その病気を受け入れてどう生活していくのかが大切なこと。

自分は病気なのだからできる人の真似っ子はダメなのだ。

自分は自分。他人は他人。

人それぞれやり方も考え方も違うのだから自分にあったやり方でやっていけばいい。

 

病気をなかったことにしようとしてもできないのだから、ずっとか、しばらくは付き合っていかなければいけないものならそれを受け入れて前向きに進むことがいいだろう。