病気と上手に生きて行く。

私は鬱病になってみて初めて鬱とはこういうものなのかと実感した。

今まで経験したことのないやる気のなさ、毎日毎日自分の存在意義を考えていた。

 

私は死にたいと思うより、自分の存在を消したかった。

元々なかったことにしたいと思っていた。

それなら親もきょうだいも悲しまないし、私がいなくなったあとで葬儀のことやら奨学金の支払いやら迷惑かけることもないのにと…。

 

鬱になって、出来ないことが出てきた。

それは、鬱だからしょうがないと自分で許してあげることが大事なのだが、私はそうはできなかった。

鬱気分から抜け出すと体も動くようになり気分も良いため、自分は普通の人と同じように生活するのが普通のことだ、しなきゃいけないと思っていた。

周りに鬱病のことを理解してくれない人がいればなんで分かってくれないのかと腹を立てていた。

しかし、一番理解できていないのは自分なのかもしれない。

少しでも気分が良くなれば普通の人と同じことをしようとする。

1日、2日良くなっただけですぐ働かなきゃと焦ったり、今の生活習慣じゃダメだと自分を責めたり…。

 

私は他の鬱病患者とは違う。

そこまでひどいわけではないのだから普通の人と同じようにしなければ。

普通に働いて普通に稼いで普通に生活していかなければ。

そのため、本当に休まなければいけない時に休まず無理しようとする。

甘えてはいけない。

自分は働けるんだからと…。

 

でも、きっとそれは違う。

少なくとも精神科の病院に通っているということは病気を持っているということ。

他の人はもっとひどいからと他人と自分を比べて普通の人になろうとする。

普通の人にできることでも私にはできないことがある。

それを認めなければいけない。

許してあげなければいけない。

だだ、病気だから何もできないと諦めてしまうのはまた違う話だ。

病気だけど、普通の人とは違うけど、やり方を変えてみれば、考え方を変えてみれば同じことができるかもしれない。

 

病気になってしまったのは仕方がない。

その病気を受け入れてどう生活していくのかが大切なこと。

自分は病気なのだからできる人の真似っ子はダメなのだ。

自分は自分。他人は他人。

人それぞれやり方も考え方も違うのだから自分にあったやり方でやっていけばいい。

 

病気をなかったことにしようとしてもできないのだから、ずっとか、しばらくは付き合っていかなければいけないものならそれを受け入れて前向きに進むことがいいだろう。

 

 

 

 

現実逃避。

たまには現実逃避してみたっていい。

現実を忘れてお金があったらこんなことをしたい、時間があったらこんなことをしたいと夢を見るのもいい。

しかし、現実はそう甘くない。

自分がどんな状況に陥っていようが、時間はどんどん進む一方で戻っちゃくれない。

過去に戻ってその選択はやめたほうがいいだなんて言えたらどんなにいいだろうか。

実際そんなわけにはいかない。

未来に向かって進んでいくしかないのだ。

ここまできたのも言ってしまえば自分の力。というか自分の責任。

ここまできた道のりがどんなものであろうともそれは自分で決めた道であり、人生であるということ。

つまりは誰も責めることはできないということ。

だから誰しも皆んな、今の現状に満足できずに、でも自分のせいにはしたくないから環境のせいにしてみたり、人のせいにしてみたりして自分を正当化し、現実から逃げる。

だが、それも人生を上手く生きていくすべかもしれない。

私は生きていくのが下手だから精神的に参っちゃって、人生やめたくなって逃げてしまう。

それは逃げられる環境があるから。

そんな環境がなかったらどうなっていたのだろう。

どんなことにも負けない心を持っていたのか、それとも今頃この世にいなかったのかも…

 

私は今まで自分で決めた道を、人生を人のせいにして、生きてきた。

自分の人生に責任を持とう。そう決めた。

過去の自分がどう思っていようが関係ない。

今の自分は今の自分。

過去の自分を憎んだって何も始まらない。

過去の自分の選択で決まってしまった人生。

とは言ってもいつでもまたやり直せる。やり直そうと思えばいつだってやり直せるのだ。

しかし、違う道へ進まないのはやはりこの道に進みたいという少なからずの過去の自分の思いと新たな自分がの思いがあるから。

 

少し話が逸れたが、決まってしまったのだからその現実からは逃げられない。

どうしても逃げられない過去もあるのだ。

それならばもう進むしかないじゃないか。

 

現実逃避は良いものだ。

嫌なことを忘れて好きなことだけ考える。

しかし、現実もちゃんと受け入れなければいけない。

いつまでも頭の中で考えていたって現実は何も変わらないのだから。

それなら現実を受け入れて少しずつでも前へ進むほうがよっぽどいいのでは?

現実を変えていくほうがいいのではないかと思う。

 

今は調子が良いのでこんなことを言えるのだが、いつまた壊れてしまうか分からない。

だから壊れてしまうその前に自分の思いをここに綴っておきたい。

 

過去の経験。

過去の自分があるから、今こうして生きている。

何も無駄な経験なんてない。

過去の経験は全て今の自分を作り上げている。

誰かに傷つけられたからこそ自分は誰も傷つけたくない。

自分が苦労をしてきたらこそ、もし自分に子どもが産まれたらそんな経験させたくない。

全て経験してきたからそう考えることができた。

失敗もあった、逃げたこともあった。

でもその経験は無駄じゃない。

その経験をどう活かすか、どう変えて行くのか、それぞれのやり方で変えていけばいい。

 

人は誰でも何かしら苦労する。

それが若いうちか、歳をとってからか、それは分からない。

だが、若いときの苦労はとてもいい経験になる。

その苦労は人によって違うだろうが、その人にしかできない経験である。

 

しかし、過去にしがみついてばかりではいけない。

自分はこういう人間だった、こんな生活だった。

 

…だから? 

だから何?

 

そんな自分が嫌なら新しい自分を作ればいい。

そんな生活が嫌なら変えればいい。

今まで自分がどうしてきたかだなんて関係ない。

大事なのはこれからだ。

自分の人生を切り拓くのは自分だけ。

自分の道を決めるのに、人のせいにしながら生きて行くのはいけない。

あのときこうだったから、あのときこう言われたから。

 

違う。

 

決めたのは自分自身だ。

 

過去に起こった事実は変えられない。

辛かった日々も決して消えない。

だからこそ、次に活かせることができる。

そこからまた変われることができる。

一回り大きくなった自分に成長できる。

 

私は、少しは辛い経験が多かったと思っている。

友達関係、家庭環境、病気。

様々な面で経験してきた。

だからもし他の人が昔の私と同じ立場になれば私の言葉で救えるかもしれない。

励みになるかもしれない。

 

今は鬱病で、これ以上落ち込みたくないという気持ちが強いため、辛かったときのことはなるべく思い出さないようにしている。

そのせいか、そのときの感情さえ思い出せなくなってきている。

正直言うと、思い出すのが怖いのだ。

もうあんな思いしたくない。

 

あのときこうしていれば今頃はもっと前向きな幸せな人生だったのかななんて考えたりもする。

でも、過去には戻れないし変えれない。

ならば、今を変えるしかない。

仕事復帰に向けて不安な気持ちが高まるが、最近また新たな気持ちで迎えようとしている。

次は本気でやってみようと。

 

過去の経験があってこそ、今の自分がある。

今の自分に繋がっている。

無駄な過去の時間なんてなに一つない。

それを大事にしていこう。

落ち込み。不安。

ゆっくり体を休める時間ができても、心は安まらない。

また働き出すことへの恐怖。

働きたいのに働けないことへの苛立ち。

思い立ったときに行動を起こすのは大事なこと。

だが、仕事となるとわけが違う。

急に働き出してしまえばまた体調を崩しかねない。

せっかく、前向きな考えを持てるようになったのに…。

せっかく次こそは大丈夫と思えたのに…。

またダメかもしれないという不安が募っていくばかり。

 

また、未来に希望が持てない。

何が楽しくて生きているのか。

何のために生きているのか。

いつ死んでもいいやと思ってしまう。

後悔しないわけではない。どうせろくな人生送らないからと諦めているからだ。

 

次は休む期間が長すぎたのだろうか。

それとも、本当にもう普通に働けないのだろうか。

何故ここまで自分は弱いのか。

いつも甘えて逃げてしまう。

 

本当に自分がしたいことは何なのだろうか。

どう生きていきたいのか。

 

また自分を見失ってしまった…

分からない…

自分が分からない…

この先どうなるのか。

 

鬱状態になるとこんな考えになる。

前はさらにひどかったが、この状態で書き留めておけるものは書き留めておこうと思い、ブログに書いた。

ついでに書くと、さらにひどいときは自分が自殺するのではないかと怯えていた。

毎晩、夜眠りにつくとき、様々な自殺の方法が浮かんでくる。

ふと、理性がきれたとき、自分は死を選ぶのではないかと毎晩恐怖で泣いていた。

自分を抑えきれなくて、家で狂ったように叫んだこともある。

そのときは親が止めてくれたが、初めての経験で、一度叫び出したら止まらなくなり自分が本当に狂ってしまったと感じ、とても怖かった。

自分が自分じゃないようで…。

過呼吸にもよくなっていた。

叫んだときのこと、過呼吸のときのこと、思い出すのも嫌だ。テレビでその映像を見るのすら嫌だ。

またそうなってしまうのが怖いから。

なんとかそれを押し殺して深く思い出さないようにしている。

 

最近は元気で調子が良かったのに、ふと我に返ってみるとこんな感じ。

 

ただ、もうどん底まで落ちたからこれからはもうそこまで落ちることはないだろう。

これも母からの言葉だ。

さすがに母もこのような言い方はしないが、これに似た言葉をくれた。

たまに、いい事を言ってくれる母。

今回のことをよく語り合い、母の言葉が身にしみた。

 

少し落ちることはあってももうどん底は見ない。

そう信じて、毎日を生きていく。

気付くこと。

自分を成長させるにも、変えるにも、まず気付かないことには始まらない。

自分の悪いところに気付き、改善しようとすること。

失敗したことを反省し、何がいけなかったか気付き、次へ活かすこと。

すべて、気付くことから始まる。

 

自分の悪いところに気付くには、誰かに指摘されるか、人生でくじけることも大事なことだと思う。

一人一人の人生なのだから、他の人が経験していないことをきっと誰でも経験していることだろう。

まず、産まれた環境も違うのだ。

家庭環境が違うだけでも誰一人として他人と全く同じ人生を歩むことはないのだ。

私は、家庭環境に対して不満を持ったこともあった。

何故家にはこんなにお金がないのか、何故こんなに欲しい物も与えてくれないのか、友達はもっと色々買ってもらえているのに…

子どもの頃はそんなことを思うのはしょっちゅうだった。

高校生のときには足りない学費をバイトをして稼いで、好きなものを我慢することもよくあった。

友達にも気を遣われていた。

幸いバイト仲間は良い人ばかりで行くのが楽しくなっていた。

しかし、バイトはバイトだ。

休む日を作らないこともあったため体調を壊すこともあった。

 

今でこそ言えることだが、若いうちから苦労する経験もなかなかないだろう。

そこから学べたこと、気付けたことが沢山ある。

それはとても良い経験をしたと感じた。

それこそ、これはお金持ちの家に産まれれば気付けなかったこと。

普通の家庭でも気付けなかったかもしれない。

 

それに、私は鬱病だ。

これもなかなか経験できることじゃない。

なるべくならそんな経験しない方が良いのだが…。

前向きな今では本当の自分に気付けて、変えようとしている。

悪いところを改善しようとしている。

 

一生何かに困らないことはない。

辛いと思う日も必ずある。

だがそこで、気付くことが大事だろう。

気付かずにいつも同じことをしていてもいつまでたっても成長できない。

 

成長したい、変わりたいと思うならまず、気付くことから始めよう。

気付いたその先に何か分かることがあるから。

辛い日々も大事な経験。

 

 

最近の自分の生活。

最近とても調子が良い。

大体気持ちは前向きで自ら家事を手伝ったりすすんで運動しようと何かと体を動かしている。

これは普通の状態なのだろうかと、逆に不安になる。

でも、お金を大量に使ったりとか何でもできそうとか思うこともないし、とりあえずは大丈夫だろう。

 

生活習慣も少しは変わったような気がする。

お風呂の時間はいつも遅い時間だったし、そのせいで寝る時間も毎日日付が変わってから寝るのが普通だった。

それが今では、早くお風呂に入ろうと、自分からお風呂を洗ってお湯を入れて、お風呂の支度をする。

おかげで寝る時間も早まった。

 

以前は、運動どころか家の中で動くことも少なく、時間が過ぎるのを待つだけだった。

だから、体は疲れることもなく毎日眠れなかった。

眠ることが恐怖にさえ感じた。

しかし今は、朝起きて今日は何をしようかと考え、暇だと思う時間をなるべく減らそうとしている。

と言ってもただ夜眠れるように体を疲れさせているだけでもある。

だが、それが自分に合っていたのか雪が降る寒いときでも外で運動をしたり、部屋の片付けをしたり、実際動けているわけだ。

 

私は、鬱病になり、自分を見つめ直す時間ができ、良かったと思っている。

自分を見つめ直す時間ができたことで、自分のことが少しずつ分かってきた。

ほとんど悪い部分だが、それはこれから変えていけばいい。

鬱病も貴重な経験だ。誰にでもなり得る可能性があるが誰でもなるわけではない。

なったからこそ語れることがある。なったからこそ他の患者の気持ちが分かる。

 

自分の過去の経験に意味のないものなんてない。

過去があって今がある。

過去に戻って過去を変えることはできないが、未来をどうするかは自分が決めること。

過去の自分と比べるより、未来の自分と比べること。

 

私は今までわがままに生きてきた。

沢山の人に支えられながら生きてきた。

だから今度は私が沢山の人の支えになりたい。みんなを支えられる強さを持ちたい。

色々な経験を経て、強くなる。

支えられた分、いや、それ以上になれるよう強くなる。

 

自分を変えるのも一つの努力。

努力して、自分を変える。

努力して新しい自分を手に入れる。

努力して人生を変える。

すべて努力次第。

 

人生をどう楽しむかも自分次第。

 

精神疾患患者の理解者側。

精神疾患を持つ人が身近にいる人、つまり理解者側はその人の症状や原因などをより深く理解してあげようとする気持ち、分からないけど協力しようとする気持ちを持っていてあげてほしい。

それでも、いや自分は理解していると思う人。

それは理解しているつもりであって、本当の意味では理解していない。

これは、自分自身が経験してみないと絶対分からないことだと私は思う。

実際、経験してみた私が感じたことだ。

 

人の気持ちを全部理解することは不可能だ。

精神疾患を持つ人のことであれば尚更だ。

それなのに何故、自分が経験したこともないことなのに経験した人の気持ちが分かる?

人はそれぞれ性格が違う。

十人十色だ。

それは精神疾患を持っていていても同じだ。

一人一人性格も違えば症状も違う。

その発した言葉が性格から来るものか、はたまた病気のせいかも。

精神疾患に関する記事や本で勉強することはできる。それも大事なことだ。

そのまま理解を深めてあげてほしい。

ただ気をつけてほしいのは、そこに書いてあるのがすべてではないということ。

鬱病躁鬱病などの特徴や対応の仕方などが書いていたとしても、その人個人の取扱説明書ではないということ。

それともう一つ。

病院や薬は魔法ではない。

限界を迎えたときに病院へ行ったからといって、すぐに元気になるわけではない。

薬を飲んだからといってすぐに良くなるわけではない。

薬を飲んで元気になったように見えたとしても、それは本来の姿ではないのかも。

 

結果、その人の考え方や支えとなる周りの環境が変わらないと変わらない。

だからといって、無理に考え方を正そうとするのは返って逆効果だ。

その人の考えが変わるのは、何かきっかけがないといけない。

何かをきっかけに自分に気づき、変わろうとするのだ。

そのきっかけこそ人それぞれなのだ。

私の場合は、読書だ。

色々な本を読み、登場人物の心情や考えを読み解くことにより、人の気持ちも読み解こうと思った。

だからといって、みんなに読書を勧めるわけではない。

本を読むのが嫌いだという人も必ずいる。

だから、その人のきっかけを一緒に見つけてあげることも一つの手助けであり、その場の環境を良くしてそのまま見守ることも一つの手助けである。

どうか、理解したつもりでいるのではなく、もっと掘り下げて分かってあげようとしてあげてほしい。

みんな必死に今を生きているのだから。