精神疾患患者の理解者側。
精神疾患を持つ人が身近にいる人、つまり理解者側はその人の症状や原因などをより深く理解してあげようとする気持ち、分からないけど協力しようとする気持ちを持っていてあげてほしい。
それでも、いや自分は理解していると思う人。
それは理解しているつもりであって、本当の意味では理解していない。
これは、自分自身が経験してみないと絶対分からないことだと私は思う。
実際、経験してみた私が感じたことだ。
人の気持ちを全部理解することは不可能だ。
精神疾患を持つ人のことであれば尚更だ。
それなのに何故、自分が経験したこともないことなのに経験した人の気持ちが分かる?
人はそれぞれ性格が違う。
十人十色だ。
それは精神疾患を持っていていても同じだ。
一人一人性格も違えば症状も違う。
その発した言葉が性格から来るものか、はたまた病気のせいかも。
精神疾患に関する記事や本で勉強することはできる。それも大事なことだ。
そのまま理解を深めてあげてほしい。
ただ気をつけてほしいのは、そこに書いてあるのがすべてではないということ。
鬱病、躁鬱病などの特徴や対応の仕方などが書いていたとしても、その人個人の取扱説明書ではないということ。
それともう一つ。
病院や薬は魔法ではない。
限界を迎えたときに病院へ行ったからといって、すぐに元気になるわけではない。
薬を飲んだからといってすぐに良くなるわけではない。
薬を飲んで元気になったように見えたとしても、それは本来の姿ではないのかも。
結果、その人の考え方や支えとなる周りの環境が変わらないと変わらない。
だからといって、無理に考え方を正そうとするのは返って逆効果だ。
その人の考えが変わるのは、何かきっかけがないといけない。
何かをきっかけに自分に気づき、変わろうとするのだ。
そのきっかけこそ人それぞれなのだ。
私の場合は、読書だ。
色々な本を読み、登場人物の心情や考えを読み解くことにより、人の気持ちも読み解こうと思った。
だからといって、みんなに読書を勧めるわけではない。
本を読むのが嫌いだという人も必ずいる。
だから、その人のきっかけを一緒に見つけてあげることも一つの手助けであり、その場の環境を良くしてそのまま見守ることも一つの手助けである。
どうか、理解したつもりでいるのではなく、もっと掘り下げて分かってあげようとしてあげてほしい。
みんな必死に今を生きているのだから。
考えるだけじゃダメ。
最近よく考える。
この状況を脱却する方法は何か。
自分を変えるにはどうしたらいいか。
自分の様々な体験を基に、新しい知識も交えながら考えるとようやく自分の本性に気付いた。
まだまだ気付けていないことが多いだろう。
でも、最初の一歩。
ここまで来るのに19年。
自分の性格を知るにしてはちょっと時間がかかり過ぎてしまった。
でもここから変えていく。
仕事に復帰できたらこんな気持ちで毎日過ごそうとか、お金を貯めてこんなことをしたいとか理想だけが膨らんでいく。
今度こそ大丈夫。
今はこんなに意欲があって、仕事に対する熱意も前より増している。
そんなとき、職場に行く用事があり、職場に行くことになった。
スタッフのみんなは暖かい笑顔で迎えてくれた。
もっと元気になったらまた一緒に働こうねとか、楽しみに待ってるよなど優しい言葉をかけてくれた。
安心したのもつかの間、そのときふとよぎってしまった。
自分が勝手に焦ってその職場で働き出し、挙げ句の果てには鬱病だから仕事ができないと逃げた。自分の決めた道のくせに文句ばかりの毎日。
どれだけ自分がみんなに迷惑をかけてきたのか、そんな私を誰が快く受け入れてくれるというのだ。
本当は優しい言葉と裏腹に戻ってこなくてもいいのにと思っているのではないか。
職場を後にした私は、近くのお店に寄り、化粧品や洋服などを眺めた。
いつもは買いたいけど買えなくてもどかしい気持ちで通り過ぎるその場所。
この日は魂が抜けたようにどんな物にも興味を示さなかった。
周りには沢山の人がいる。
人…人…
人が怖い…
あれほど、仕事に対する意欲が湧いていたのに、やる気を出していたのに、ほんの一瞬の出来事で、全てが怖くなった。
また同じことを繰り返すのではないか。自分はもう普通には働けないのではないか。
これでもかというぐらいに不安が襲いかかる。
しかし、こんな考えを持ってしまえば、本当に同じことの繰り返し、無限ループだ。
傷つくことはあるだろう、立ち直りも遅いかもしれない。でも、またどん底に落ちることはない。いや、自分がそうさせない。
少しずつでいいから変えていこう。変われるはずだ。
この日は理想が一気に崩れ、不安が募った日であったが、それを押しのける強さを身につけることが必要だ。
行動してみて初めて気付いた。
しかも、この不安は初めの一歩を踏み出さない限りいつまでも消えない。
考えるだけじゃダメだ。動いてみないと分からない。
社会人。
社会人になったばかりの私は、自分で社会人はこうあるべきとかこうするのが当たり前だとか社会人を堅苦しく考えていた。
その考えは結果、私自身を苦しめた。
バイトとは違うんだから、一回言われたことは次のときには出来るようにすることが当たり前だ。と毎日少しずつでも完璧にできるようにしていた。
そんな毎日を送っていると私は、社会人のプレッシャーに耐えきれず、頑張っても空回りして、鬱病になり仕事を辞めざるを得なくなった。
初めて就職し、その職場を辞めるまでわずか1ヶ月。
仕事を辞めて家にこもってからも、心が落ち着くどころかこの先の不安を抱え、自分の生きる価値が分からなくなった。
そんなとき、前の職場を辞めて1ヶ月もせずに、新しい職場で働き出した。
周囲の人からはまだ辞めといたほうがいいと言われたが、自分で意地を張って絶対働くと言って働き始めた。
その時の自分は余裕がなく、毎月お金が入ってこないことへの不安が、先走ったというのも理由の1つだ。
完璧に治ったと言える状態ではなかった為、次の職場でも2週間程で崩れてしまった。
現在はとりあえず、その職場を休職という形で、休ませてもらっている。
何で自分はこうなるんだ。
毎日が楽しくない。
何を楽しみに生きて行けばいいのか分からなくなった。
しかし、最近は違う。
自分の目指すところを変え、自分の考えも変えようとした。
すると、気持ちが楽になり、色々やってみたいと意欲が湧いた。
私は母とよく話すのだが、そのとき母からの助言があった。
仕事に行くと考えないで勉強しに行くと考えればいい。
その時、私は気づいた。
休職中によく、何かを学びたいと考えることが増えたが学ぶ場所がないと思っていた。
でも違う仕事場が学ぶ場所で成長できる場所ではないか、そう考えれば上へ上へ目指していける、何かを学びながらお金がもらえるのならいいことではないか。
今は、仕事復帰を目指して、時間の使い方を変えたり、行動を変えてみたりしている。
この先どうなるかは自分次第。
ちなみに、私の仕事についてはまた後日。
時間っていうのはこの世で一番前向き。
時間がないとか、時間が止まればいいのにとか、何でこんなに時間経つの遅いのとか、その時によって時間の感じ方が違う。
でも、時間っていうのは、誰に何と言われようと、進み続ける。戻ることは決してない。
自分のペースで正確に、確実に、時を刻み続ける。
自分の人生に何が起ころうと、時間は進み続ける。
だから、自分達も前に進むしかないんだな。
人生を楽しむために。
人間はいつまでも成長し続ける。
どんなことでも、何かを学びたいと思えば何気ない毎日が自分にとって楽しい毎日に変わるかもしれない。
どんなことを自分に吸収できるのか、わくわくしながら過ごせるかもしれない。
自分に変化のない人生なんて楽しくない。